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2006年06月29日

●「関東ふれあいのみち」通行止情報


「関東ふれあいのみち」通行止のお知らせ

関東ふれあいのみち(山里いで湯のみち)は、宿の平駐車場と滝沢不動堂の間で、降雨による土砂崩れのため当分の間通行止となります。
不動大滝へ行かれる方は、粕川町側の前不動駐車場をご利用ください。

不動大滝周辺マップPDFファイル

[問い合わせ先]
(財)前橋観光コンベンション協会観光部宮城支部
電話 027−283−2131(代)

2006年06月27日

●よもやま話「伝説??」

 先日、ある方から、心の奥底にしまって置いたある事が…やはり、心配であると…の話を又聞きで相談されました。実は、相談内容は2点ありまして、最初の1点は・ねつ造…と言っても…間違いなく、伝説のねつ造です。悪意・・??そんな事ありません。善意のねつ造です。経緯も良く知っております。
 後世に伝わる可能性・・・?? 分かりませんが、間違えば伝わるかも?? 多分、忘れられる範ちゅうの事…デアリマス。伝わったとしても、何んの影響もありません。ご心配ご無用と存じます。多分その命名に関与した事が、心の何処かに、小骨の様に引っ掛かり取れないでいるのだと思います。
 しかし、多分、命名表示された標柱が朽ちるのと同時に、その話も朽ちると思います。地域発展の宣伝行為からの善意のねつ造であります。
 そうそう、地元の人達が、その事をまるで信じておりませんから、後々伝わる事は希有の…であります。どうしても、その事を話せと…困った!!バラスべきかバラサヌべきか??…ジ・ツ・ワ・・・忠治温泉横の駐車場にある「忠治腰掛けの石」であります。
 もう1つは、馬場町にある前橋市の指定文化財「あ・うんの石仏」との事。昔は、その石には名前がありませんでしたが、上野丑之助翁(元宮城村長・宮城村に於ける文化財の権威)が命名したから…と。この件についても、ご心配ご無用と存じます。石造物本体は間違いなく文化財に該当する物であり、指定当時、県の石造文化財の権威の人が立ち会い、認定したのであります。

 道祖神にしても、薬師仏・観音仏等々にしても、元々、地区の人々は道祖神様・薬師様・観音様と言っただけと思います。村々が合併され大きくなるにつれ、どこそこの薬師様・何々の薬師様なぞと変えられて行ったりしておりますし、神様の本当の名前も分からなく成ってしまっているのが現状です。名無しのゴンベイの神様と言う訳にはいきませんので、上野翁が名付け親になったしだいです。
 翁が名付けた物はほかにもあります。鼻毛石町の「お帰り道祖神」等々。数十年前、現在地より盗まれ、行き方知れずに成っていたのを、筆者が見つけ出し、当時の所有者と交渉、無事元の場所に「お帰り遊ばされたので」、上野翁がそう命名したのです。当時、赤城寺住職・教育委員会の関係者・墓地所有者等々が集り、盛大に帰還式を執り行った記憶があります。

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[忠治腰掛けの石]


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[あ・うんの石仏]


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[おかえり道祖神]

2006年06月26日

●赤城山の花々

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ヤマホタルブクロの花が、ガードレールに寄り添う様に咲いていました。又、コアジサイの花や野バラの花も…。
みんな赤城温泉付近で見られます。野バラの花は、もう終わりに近い…花びらを甘酢漬けにして食してみては如何?? 薬効アリデス!!

情報提供:御宿 総本家 館主

●花いっぱい・元気いっぱい推進協議会

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花いっぱい・元気いっぱい推進協議会(櫻井敏道会長)による、ポーチュラカ苗の植栽作業が、平成18年6月24日(土)に行われました。宮城体育館の周りなど、きれいな花を咲かせてくれると思います。

2006年06月22日

●ドイツ村バラ祭り2006

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[平成18年6月22日 撮影]

 赤城高原牧場クローネンベルクでは、6月1日から30日まで、「ドイツ村バラ祭り2006」を開催しています。


赤城高原牧場クローネンベルク案内マップ

【問い合わせ先】
 赤城高原牧場クローネンベルク
   TEL:027-283-8451 FAX:027-283-8452
   http://www.doitsumura.com

2006年06月20日

●オオムラサキ観察会

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宮城小学校の2年生による、オオムラサキ観察会が、6月20日(火)、オオムラサキを語る森とオオムラサキ飼育ハウスで行われました。
オオムラマン(子どもたちはオオムラサキのことをそう呼びます)も、いよいよ6令幼虫(終令幼虫)からさなぎになります。
そして、羽化するのももうじきですね。

【第5回みやぎオオムラサキまつり】のお知らせ
 日  時:平成18年7月2日(日) 10:00〜14:00
      雨天中止(小雨決行)
 場 所:宮城総合運動場 オオムラサキハウス付近
 内 容:オオムラサキの解説
     オオムラサキを自然へ戻そう
     蝶や花の写真展 ビデオ上映
     どんぐりの森自然観察

●赤城山の花々

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タニウツギ「谷空木」の花です。最近紹介した、ウツギとは字で書くと「空木」と書くので同じ様ですが違うんです。
そのほか、「藤空木」と言うのが咲きますが、皆、属は違います。
ウツギは[ユキノシタ科ウツギ属]、タニウツギは[スイカズラ科タニウツギ属]、フジウツギは[フジウツギ科フジウツギ属]です。
赤城温泉の駐車場付近で見る事ができます。

情報提供:御宿 総本家 館主

2006年06月19日

●よもやま話「京都・東福寺への問い合わせ」

 本年の春頃、友人が赤城山中の峡谷より「宝塔」の相輪部分を拾い、私に手土産として届けて下さったのが、今回の研究の始まりであります。その相輪は鎌倉時代末、この赤城山中で修行していた「赤城了需」と言われたお坊様の門徒(赤城門徒)が造塔した物とされている「赤城塔」の相輪部分であると確信いたしました。赤城山を源とする「粕川」、「荒砥川」水系の一部にしか存在しない特異な宝塔であります。群馬大学の考古学教授であられた「故尾崎教授」により研究され、この宝塔の名も「赤城塔」と命名され、九州の国東半島にある「国東塔」と並び称される宝塔と成っております。
 この赤城了需と言うお坊様は、群馬県太田市の尾島町にある「長楽寺」・1221年(承久3年)新田の荘を開いた新田義重の子、義孝が臨済宗の開基・栄西の高弟栄朝を招いて開山として創建された寺であります。栄西の弟子「円爾弁円」(東福寺開山)の弟子である「月船しん海」が、弘安5年に長楽寺の住職(5世)に任命されてました。徳治2年東福寺に移る迄の25年間在職、翌年、東福寺で没しております。この地で多くの弟子を育てております。その弟子の中から6人も長楽寺の住職になっております。その弟子の中に「赤城了需」がおりました。
 この了需の事は「法照禅師十乗坊(月船しん海)行状」と言う書物の中に書かれております。赤城山中に居て30余年も山を一歩も出ていないとか、天狗を友としていた…とか、しかし、月船和尚より戒を受けて依り、赤城山から月に一度、山を下り長楽寺に通ったと。又、上野では、月船の教えを学ぶ者を「赤城門徒」と称し、月船死後は了需が門徒の祖と成ったとの記録があります。
 また、了需は、中国に渡り天童山で学びます。そこで、住寺雲外に依頼、師・月船の十三回忌を営んでいる事が、雲外の記録「天童雲外記」に記載されているとの事であります。この渡海には、鎌倉幕府や「長楽寺」や「東福寺」が関与していなければ実行は不可能である筈です。十三回忌、4年後の元亨4年(1335年)の年号の入っている「赤城塔」が故地と思われる、鎌倉時代の寺跡(赤城山中)に現存しています。私の菩提寺の旧跡地もその近くの山中の峡谷にあります(相輪は其の近くで発見)。慶長・元和の頃、円義上人(元和9年没)が現在地に移転したとの話が、寺の来歴に記されております。当時は京都醍醐寺派報恩院に属し、後、真言宗智山派から明治時代に真言宗豊山派に変わっております。
 最近迄は、真言密教の流れ…と理解していましたが、我が金剛寺は創建当時天台宗??ではとの疑念が生じて参りました。そんな折り、金剛寺の古い記録の中に、三世円裕(寛文12年11月没)は法流開山であると、また、過去帳には「法印権大僧都円裕上人六波羅普門院」との記載が、その他、「宝永7年正月・法印舜尊・六波羅普門院住持・亮厳房」なる過去帳の記載が見え、普門院との継続的な繋がり見えて来たのです。
 金剛寺…普門院…東福寺との関係が解明されれば、我が金剛寺の開山当時の宗派解明に役立つ筈であります。寺の歴史も400年経つと殆ど不明…となります。少しでも解明出来れば歴代和尚の供養となりますので、何卒、御教導の程宜敷お願い致します。

2006年06月17日

●ホタル

ふれあいの郷の水路を飛び交うホタルです。
だいぶ数が増えてきています。

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[平成18年6月16日 撮影]

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[平成18年6月14日 撮影]

2006年06月12日

●よもやま話「櫃石に慶長小判?」

 三夜沢赤城神社から2キロ北方に「櫃石」という、古代6世紀の祭祀遺跡があります。
 「磐くら」とも言い、古代の人がこの大石の周りで祭祀を行っていたもので、それを示すかの様に神社の神宝・勾玉もここからの出土品と伝えられています。そのほかに、滑石製の小さな玉や祭祀用土器類なども出土しています。
 私は何時も神社に向かって車を走らせています。何故かって? 山に住んでいるからですが、赤城の山体が雲や霞で隠れているときでも、余程の事がない限り、「櫃石」がある丘が隠れる事はありません。きっと古代の人もその事に留意していたのでは無いでしょうか。そして、その直線上には霊峰「荒山」がそびえています。「荒い山」、つまり猛々しい神の山と言う意味も含まれていると…。
 荒山側から眺めると、眼下に櫃石の丘、そしてその下に赤城神社が鎮座し、その延長上には日本一の霊峰富士山の姿がくっきりと見えます。
 私で無くとも、それが何を意味しているかわかるような気がします。
 あっ、すいません、大分話が逸れてしまいまして、今から20年位前の事ですが、こんな事件が…。多分ご記憶のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 ある少女の神のお告げを受けて、櫃石の下にトンネルを掘って宝探し…これって、文化財保護法違反では?
 つまり、逮捕ってわけで新聞紙面を賑わした事件です。しかし、大石がゴロリと動き下敷きにならなくて良かったとの噂話が…。実は、犯人達「慶長小判」が隠されているとの話を信じての行動だったとか・・・。
 馬鹿な奴らです。この時代に慶長小判なんてありっこ無い!! 神罰が下った話です。

2006年06月10日

●2006FIFAワールドカップ開幕

世界中が熱くなるワールドカップドイツ大会が遂に開幕しました。赤城高原牧場クローネンベルク(ドイツ村)は、もちろんドイツを応援!!(もちろん、日本もガンバレ!!)
ドイツが優勝すれば、決勝の翌日、7月10日(月)の入園が無料となります。

【問い合わせ先】
 赤城高原牧場クローネンベルク
   TEL:027-283-8451 FAX:027-283-8452
   http://www.doitsumura.com
ドイツ村案内マップ

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[ドイツ村のスタッフの皆さん]

2006年06月09日

●よもやま話「石鹸の話」

 最近、固形石鹸を見かけなくなってきていませんか!!その代わり、色々の容器に入ったソープ類が…皆さん用途により使い分けして…好みの物を…。
 子供の頃は、石鹸は洗濯用の固形石鹸と体を洗う石鹸の二種類だけ!! でしたよね…。正に時代は…過去の事を忘却の彼方に…。
 昭和33年頃、寮に入るので、持たされたのが、洗面器と石鹸二種類と洗濯板??そんな板も洗面器も、既に過去の物に…。
 その頃、祖母に石鹸の事を聞いた事が…戦前、昭和の初め頃か大正??
 その頃は、宮城の何処にも石鹸なんか持っているいる家は無かった…との事。東宮大佐が帰省の折、手土産に持って来たが、珍しいので使えなかった、との話が…。この地方でも、石鹸を使い出したのは、明治10年頃との事。それ迄は、洗粉を使用していたらしい、いやそれ以降もづっと使われていた…。
 洗粉??その原料は??小豆を臼で挽き粉にして、布袋に詰め込んだ物。その他、「こぬか」を布袋に入れた物…(こぬかは餅米のこぬかが最上)。これで、体をこすっていたんです!!今の人、信じられますか??。おじいちゃん、おばあちゃんに聞いて見て下さい!!覚えている人、いるかも…。
 衣類等の洗濯には、サイカチの莢(さや)、蕎麦の殻、ミョウガの茎葉、ムクロジの果皮などを煎じた汁で…こんな話、信じられます?? ウッ・ソー信じ・らんネー・デスよね!!
 そうそう、こんな話も…、昔、温泉場の板前は鯉を料理するのを嫌がった。その訳は、鯉は脂が多く、切った後の包丁を洗うのに手間が掛かった。今みたいに、洗剤が無かったからです。灰で脂落とし…、大変ですよね!!

2006年06月08日

●よもやま話「雷様」

 田植えの終わった田んぼは、カエルのゲロ・ゲロ・ゲロっと言う鳴き声の大合唱で、田んぼの近くなら寝られないような、すごさ・・・です。
 それからもう少し経つとゴロゴロゴロ・ピカッ!ドカンって言う「カミナリ様」の襲来・・・何が嫌って・・稲光・稲妻!!
 そうなんです、どの字にも「イネ」が付いていますよね!
 雷と稲作は切っても切れない関係にあるのです。古代、太田・新田地方の人々は、日照りが続くと赤城山に向かって雨乞いをしました。赤城に黒雲(クロホ・黒穂・雷雲)が掛かると、田畑に恵みの雨を降らせてくれます。
 群馬には雷が通るコースが五つあるそうですが、赤城南麓も最多発地帯です。それで、苗ヶ島町にある(財)電力中央研究所赤城試験センターでは、昔「雷」の研究をしていたそうです。

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2006年06月07日

●よもやま話「茶摘み」

 数日前、鼻毛石町内を通行中、老人会の人達と思われる方々がお茶の葉摘みをしていました。宮城地区では二十数年前迄まで、お茶摘みが盛んで、農協の製茶工場に運ぶ光景を至るところで見る事が出来ました。しかし、その製茶工場も閉めて久しいですね。ただ、旨いお茶にめぐりあった記憶は無い…いや失礼…。
 製茶の仕事で来村していた技術者に、お話を伺う機会があって聞いた事が…味付けの方法を…。何んか、添付するそうです?? 言うとマズイ…?? 止めときます…言うのを!!。 味付け・色付けは世の中、一般的・当たり前?? でありますかいな???。でしょうね…!
 六郎治メモに江戸時代より、屋敷周りにお茶の樹を植え、自家でお茶作りをしていたと…。ただ、普通の家では急須なぞ無く、土瓶・茶釜にて煎じた茶褐色な茶を茶杓なんぞで汲んで飲んでいたとの事です。急須が普及しだしたのは、明治12年頃かららしいです。製茶は大胡町で売っていたが、この近在の人で、買う人は皆無…に近かったらしいです。

2006年06月06日

●赤城山の花々

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 今年は咲かないのかな??と…。4〜5日前、一輪…、これで終わりかっ!!と思っていたら、そんなに沢山では無いですが咲いていました。何んの花??「朴の花」純白の大輪の花です。
 千本桜の行事が終わり、何んかの会議で、宮城支所に行った折、裏の英霊殿の「朴の花」が満開でした。地域振興課の担当の方に写真撮っておいて!!と言ったのを覚えています。
 この英霊殿も数年後には移転のはず…後、何回、この花が見られるのでしょうか。大木過ぎて移転は無理でしょうから…せめて小さな苗を植えて欲しい…。非業の死を遂げた多くの戦死者もきっとそれを願っているでしょう。
 そうそう、この写真の花は標高860m地点、赤城温泉・御宿 総本家の風呂場から眺めたものです。

情報提供:御宿 総本家 館主

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[英霊殿  撮影日:平成18年5月8日]

2006年06月05日

●よもやま話「減俸騒動」

 東宮六郎治メモに正に現今のような話がありましたのでご紹介します。
 昭和5年11月8日、朝日新聞に掲載左の如し「減俸要求は不当と宮城村史、村会決議に憤慨辞職」
 勢多郡宮城村の村長以下役場史員の減俸問題にからまる役場当局対村民紛擾は益々悪化し、5日助役東宮端一郎、収入役前原政次氏以下書記7名、書記補1名、計10名は村民の要求を不当となし総辞職をなし6日村長北爪徳衛氏も辞表を提出したので掘田知事は別項の職務管掌を任命したが、天笠氏は6日の夜堀田知事に実情報告し、7日朝村役場に北爪元村長以下元役場当局村会議員並に村民有志を集め、村長以下役場史員の選考委員会を開き、両派の諒解を求めて近く村長選を行う(宮城村の総辞職、県で職務管掌)勢多郡宮城村の村長以下役場史員総辞職に付いて県では7日左の如く職務管掌を命じた「県属天笠清」勢多郡宮城村村長職務管掌を命ず。

 さて、この事件、村史に記載ありや否や??
 次の村長は、助役だった東宮端一郎氏が第14代村長に就任(昭和5年11月12日〜昭和9年11月11日迄)、それから第15代に(昭和9年11月12日〜翌年の10年9月7日迄)。

[村制施行百周年記念写真集「宮城村躍進の百年」から ー明治末期、役場庁舎前ー]
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2006年06月01日

●不動大滝に行かれる方はご注意ください

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[平成18年6月1日 撮影]

不動大滝への道は、雷雨で大変荒れております。
滝沢不動尊から大滝までの間の道では、粕川地区側は、水量が多く途中で通行できなくなっています。宮城地区側の山道をご利用ください。
関東ふれあいのみち「山里のいで湯のみち」の、宿の平から三宝堂までの一部の間で荒れている箇所があります。ご注意ください。

[お問い合わせ先]
 (財)前橋観光コンベンション協会宮城支部(前橋市宮城支所内)
 電話 027−283−2131

●よもやま話「赤マムシ」

 夕方、携帯電話のカメラで撮ったので…薄暗いので、何んだか判別不可能ですかね。写っているのは「赤マムシ」の死骸です。赤城温泉に向かう途中の道路上で、死骸を発見しました。攻撃した相手が、自動車では絶対に勝てませんよね!!
 滅多に見る事はありませんが、生息している事は事実です。山に入る人は、注意して下さい。でも、赤城山中で30有余年、生活していますが、「噛まれたっ、!!」と言う話を聞いた事はありません。

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