●秋の不動大滝
赤城山の紅葉は山頂から中腹に下っていますが、不動大滝の様子です。
見頃は、11月の上旬のようです。
関東ふれあいの道「山里のいで湯のみち」通行止のお知らせ
林道不動大滝線開設工事のため、「山里のいで湯のみち」は来年2月28日まで通行止となります。
宿の平駐車場から不動大滝へのコースは通れませんので、前不動駐車場をご利用ください。
不動大滝周辺マップ(PDFファイル)
赤城山の紅葉は山頂から中腹に下っていますが、不動大滝の様子です。
見頃は、11月の上旬のようです。
関東ふれあいの道「山里のいで湯のみち」通行止のお知らせ
林道不動大滝線開設工事のため、「山里のいで湯のみち」は来年2月28日まで通行止となります。
宿の平駐車場から不動大滝へのコースは通れませんので、前不動駐車場をご利用ください。
不動大滝周辺マップ(PDFファイル)
宮城特産品加工研究会が、宮城地区の新鮮でおいしいリンゴで作った、秋限定「あっぷるまんじゅう」が、今年も直売所で発売となっています。
リンゴのおいしさをとじこめた「あっぷるまんじゅう」!! リンゴのマークが目印です。
●価格:1パック3個入り 315円(税込み)
●販売先:農産物直売所 「風の駅やげんじ」・「風の広場おおまえだ」
風の駅やげんじ案内マップ
風の広場おおまえだ案内マップ
●お問い合わせ先:JA前橋市アグリサポートセンター宮城 電話027-283-2502
林道不動大滝線開設工事のため、関東ふれあいの道「山里のいで湯のみち(赤城温泉〜宿の平駐車場)」は来年2月28日まで通行止となりますので、ご注意ください。
宿の平駐車場から不動大滝へのコースは通れませんので、不動大滝へは前不動駐車場をご利用ください。
もう秋祭りのシーズンなんですね!春に「不思議な獅子頭」を書いてから既に半年近くが…。
20年位前、旧宮城村教育委員会の研修旅行で、飛騨高山へ行った事がありました。その折り、「獅子会館」と言う資料館を見学したら「群馬県宮城村大前田の獅子頭」と言う獅子頭に遭遇致しました。その後、折に触れ、その話が出ますが、「誰が・どうして・何処から??持って行ったの??大前田の人達に聞いてみると、その獅子頭の事は知らねー??と…」しかし、そこには、そう書かれ、展示されていました。
大前田にあった物かどうかも分からない、不思議な獅子頭??なんです。
多分、何処かの骨董屋が、群馬の大前田…英五郎親分の地元で使われていた獅子舞の…??なんて売り込んだのでは!!そんな不謹慎な発言をすると怒られる…スミマセン、想像で書いちゃあいけませんよね!!
それともう一つ、その獅子頭、大きな??…実は日本の獅子舞には二つの流れがあるそうで、「伎楽系と風流系」と言うそうです。
「伎楽系」は獅子の胴体部分に二人以上が入って舞う、二人立ちの舞…多分想像出来るかと…獅子頭が大きく本州中部以西に多いそうです。
「風流系」とは、関東・東北地方で踊られている鹿舞(ししおどり)と呼ばれるもので、鹿(しし)の頭を被り、胸に太鼓を付けて一人立ちの舞で、太鼓を打ちながら舞う…大前田のはこの踊りですよね!!
確か、記憶…かすれていますが…獅子会館の獅子頭は大きかった様な記憶が…??大前田の皆さん!!大きな獅子頭、ありましたか??
獅子舞とは、16世紀頃、伊勢の国で飢饉・疫病が流行、それを追い払う為に始まったものと伝えられているそうです。その後、17世紀に入り、伊勢大神神楽師と言う団体により全国に伝わったとの事。悪魔払いの儀式・祝い事や祭り事・五穀豊穣を祝う為に!
平成18年10月15日(日)、静かな秋晴れに恵まれ、大前田町の諏訪神社で、市の無形文化財に指定されている獅子舞が奉納されました。
最近、赤城塔を追っているうちに、白山古墳の被葬者の姿が見えてきた様な気がしてきた。
何故、こんな辺鄙な山の中の古墳に、蕨手の太刀・和同開珎・さわりの椀等が、余りにも豪華な埋蔵品の数々が…それも、仏教色を帯びた?? その様な財力を持った豪族がこの地に…不思議であった。
しかし、忠治温泉にある赤城塔から粕川町深津・三ケ尻の赤城塔迄を追って行ったら、途中に大前田町世良田薬師の赤城塔へ、そして、その下にある阿久沢家(大前田砦)墓地の赤城塔の塔身へ、その下は大前田栄五郎の墓地隣を流れ深津へ。
そうなんです!!
苗ヶ島の白山古墳(西白山神社故地)の上流部から湧き出す水は、下って深津へ。東神沢川と言います。西白山神社と現在の苗ヶ島神社(旧称・東白山神社)の中程を流れるのが石田川である。共に三ヶ尻に流れ込む。
本来、神沢川は赤城温泉付近を流下する川の呼称である。しかし、この東神沢川は同一河川では無い。しかし、古代の人々は源流は同じと考えた??
確かに、東神沢川の源流域上部には神沢川の本流が流れている。浸透水がそこから来ていると考えてもおかしく無い。この川の呼称に付いても、何故、神の沢??カンザッカワと??
しかし、現在、荒山と湯之沢・薬師の滝付近を源とするこの川は荒砥川と呼ばれているが、今でも地元の人はカンザッカワ(神沢川)と呼んでいる。
荒山から流れ出る太子の沢と湯の沢温泉付近より流れ出る水の合流地点より、少し下ると大きな滝(朝日の滝)がある。その滝を眼下に見下ろす位置に忠治の赤城塔がある。塔が鎮座している場所は赤城寺(セキジョウジ)の旧跡地である。滝は神聖な場であったと伝えられているが、その位置に神の水の流れを見守る様に宝塔が立っている。
そう、この春発見された宝塔の相輪部分も、滝沢の不動大滝を眼下に見下ろせるであろう位置に…鎮座していた…のでは無かろうか??
三夜沢から忠治方面に向かって進むと橋がある。名を神東橋(ジントウバシ)と称する。神の東に位置する橋…。
一の鳥居の東に手洗橋があり、その少し上流部に荒砥川と神沢川に分流する場所がある。この堰の権限を握っていた人々は??
米の生産に欠かす事の出来ない水、その水の源を求めて…源の権利を独占する者??
その権力に近い人物が白山の地に派遣されていたのでは…。何故なら、宮城地区には弥生文化の足跡は皆無に近い。そして突然古墳文化に移行する。これだけの副葬品を持つ富みが醸成する場所では無い??
やはり、深津の荘園の支配者や大室古墳群の被葬者、との関係が色濃く映し出される。勿論、粕川の源流域を支配(月田古墳群・近戸神社赤城塔)していた人々も皆関係があるだろう。
南麓の古墳文化を創った一団が、赤城の水の権利を握った事は事実であろうし、派遣されていた水の源の管理者(大陸の高度な技術を持った人・新しく入った仏教との関わり、水に関わる祭祀・和同開珎を鋳造した人々との繋がり)こそが最も被葬者に相応しい。宇通の寺院群を作った集団も、これらの人々の末裔であろう。
三夜沢赤城神社境内から出土する瓦からも、この地に中世寺院があった事が考えられると言う事は、西宮の故地が宇通(元三夜沢)であるとの伝承…、宇通のその後は、三夜沢に集約されて行ったのでは?? 神社・寺と分けて考えない方が??
西宮の祭祀に関わる杉下家等々の墓地の高台には、北北東を向いて建つ石殿が…。彼等の先祖はそこから来たのでは??
子孫は何時迄も先祖が来た故地を思うものである??
実りの秋です。赤城南麓のりんご園では、「陽光」が収穫となっています。
宮城地区の直売所で販売されています。
[直売所]
風の広場おおまえだ案内マップ
宮城産直センター案内マップ
風の駅やげんじ案内マップ
【りんご狩りのできるりんご園】
◎ りんご狩りは、予約が必要です。
栗原りんご園 電話 027-283-9486
深津りんご園 電話 090-9015-6637 ・ 027-283-9461
いよいよ秋…、そろそろ茸が出ているのでは??と忠治館を少し過ぎたカーブの辺りから山へ分け入りました。先年杉の木を切り出す為に、山道が整備されていました。道路から少し進むと右側に、首の無いお地蔵様が二体と石仏が一体静かに佇む様に立っています(文化・文政期の物)。
この古道は昭和30年代迄の数百年間…いや、それ以上かも知れません。その間、赤城越えをして利根沼田方面への往来に、また、赤城登山や温泉浴客の通い道として多くの人々が踏み固めた道なのです。
敗戦後襲来した台風被害の復旧の為、営林署による治山復旧事業が始まります。その為、現在の道路が新設されたのです。その完成と共に旧来の道路はお役御免に…そして忘れられて…今日に至ります。
道中所々に旧道との接点が有りますが、地元の人でしか分からないかも??
しかし、その人々も既に60歳以上、もうじき誰も知らなくなるでしょう…。そうそう、茸狩りの成果…「ナラブサ」を少々収穫…、とれた場所は秘密??成果だけ!!パチリで御免なさい。