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2006年06月05日

●よもやま話「減俸騒動」

 東宮六郎治メモに正に現今のような話がありましたのでご紹介します。
 昭和5年11月8日、朝日新聞に掲載左の如し「減俸要求は不当と宮城村史、村会決議に憤慨辞職」
 勢多郡宮城村の村長以下役場史員の減俸問題にからまる役場当局対村民紛擾は益々悪化し、5日助役東宮端一郎、収入役前原政次氏以下書記7名、書記補1名、計10名は村民の要求を不当となし総辞職をなし6日村長北爪徳衛氏も辞表を提出したので掘田知事は別項の職務管掌を任命したが、天笠氏は6日の夜堀田知事に実情報告し、7日朝村役場に北爪元村長以下元役場当局村会議員並に村民有志を集め、村長以下役場史員の選考委員会を開き、両派の諒解を求めて近く村長選を行う(宮城村の総辞職、県で職務管掌)勢多郡宮城村の村長以下役場史員総辞職に付いて県では7日左の如く職務管掌を命じた「県属天笠清」勢多郡宮城村村長職務管掌を命ず。

 さて、この事件、村史に記載ありや否や??
 次の村長は、助役だった東宮端一郎氏が第14代村長に就任(昭和5年11月12日〜昭和9年11月11日迄)、それから第15代に(昭和9年11月12日〜翌年の10年9月7日迄)。

[村制施行百周年記念写真集「宮城村躍進の百年」から ー明治末期、役場庁舎前ー]
明治時代の役場.jpg

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