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2008年04月07日

●よもやま話「金剛寺(苗ヶ島町)の枝垂桜とお角桜の仏縁」

金剛寺のしだれ桜 4月7日撮影金剛寺のしだれ桜が今年も見事に咲いている。
この桜は、昭和24年3月、松村覚三郎・北爪喜惣治・前原庄吉の三氏が寄進したと、樹の下の石碑に刻まれている。
桐生市新里町新川(藤生沢と言う)の新井家に「お角桜(おかくざくら)」と呼ばれる有名な桜があるが、そのお角の子を育てたと石碑には書かれている。只、石碑には桐原のお角桜・・・と書かれているが、桐原には該当する桜の木が無いので、寄進者が地名を間違えたのかも知れない。
桐原と藤生沢は隣接している。しかし、桐原は旧大間々町(現みどり市)で、藤生沢は旧新里村(現桐生市)である。
新井家の先祖が鎌倉時代に植えたと伝えられ近郷一の桜の名所であったが、昭和23年に初代は枯れてしまい、現在の桜は二代目であるとの事である。
桐生市新里町のお角桜 金剛寺の桜が植えられたのが昭和24年、お角が枯れたのが昭和23年なので、恐らく、この二つの桜は兄弟桜ではないだろうか??
植えられて既に60年近く経つが、苗として植えるには、恐らく5〜6年以上育てないと植えられないから、60年以上経っているかも知れない。

さて、仏縁と言うものは不思議なもの、現在の金剛寺本堂は今から230年前に再建されたが、再建したのは中興の祖と謳われた智海和尚と言う方である。
寺が焼失、苦難の日々を送りながら、何年も掛け浄財を集め、心血を注ぎ再建させたのある。
実はこの方はお角桜がある藤生沢の出身である。それも桜の直ぐ近くで、姓を深沢と称したと・・・何故ならば、智海和尚の姪が当時の我が家の当主に嫁いでいるからである。
我が家では、和尚を叔父坊と称していたと伝えられている。
和尚の生家裏の桜が二百有余年後に、その本堂を艶やかに彩るとは誰が想像したか。和尚も子供の頃に見たであろう桜が、自ら建てた寺を彩るとは・・・・これぞ正に仏の縁なり。和尚も近くの墓の中で、お花見をしているのではないだろうか。
もうじき、今年も金剛寺に於いて村祭りが、自治会主催で催される。昨年は参道にお店が出ませんでしたが、今年はお店が出るとの事にて、きっと大いに賑わうであろう。