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2006年09月07日

●よもやま話「金剛寺の双体道祖神」

 この道祖神は美しい!!何と表現して良いか…。
 造立されたのは寛政五年(1793)の八月である。この年は地震が多発…やはり不安な年であったのか?? 村の結界に立ち、悪霊を防ごうと必死だったのかも??男性が柔和な表情で、女性に「安心しな!!っと」優しく語りかける様に、相手を包容している姿が、何とも微笑ましく見え、見る人の心を和ませる。苗ヶ島の路傍で、213年余りの歳月を過ごしていたと、誰が信じ様か!!。今でも現代人の我々の心に、深い感銘を与えてくれるお姿である。
 寛政5年と言う年は、勤皇の志士高山彦九郎が自刃した年でもある。20年ほど前の安永2年(1773年)、彼は苗ヶ島村の東宮佐次右衛門方に泊まっている。
 金剛寺と同じ「お高祖頭巾」を被った道祖神は県内に数基しか無い。その中で、宮城地内に二基、鼻毛石の「お帰り道祖神」がそれである。その他、粕川町月田に相合傘を差した姿の道祖神がある。これは、向かって右側の男性が、お高祖頭巾を被っていない。金剛寺より少し前の寛政元年2月作である。右側に天下泰平国土安穏と刻んである。天明の飢饉が過ぎ、2年前から松平定信の寛政の改革が始まるその時である。皆、天下泰平を願ったのであろう。その他、粕川町室沢の全徳寺に明和3年(1766年)7月銘のがある。これは、何か深く抱き合い真に迫っている…??姿に感じられる。互いの肩に掛かっている手に力が籠もっている様な…。この明和と言う年も、決して安寧な年では無かった様である。明和元年には秩父で百姓一揆が起きたり、前橋城下で大火が起き、600戸余が消失すると言う騒然とした時代であったと言う。金剛寺の石仏が造立された27年前である。

よもやま話「お帰り道祖神顛末記」

よもやま話「オコソ頭巾の双体道祖神」

金剛寺案内マップ

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