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2006年05月25日

●よもやま話「桑の木」

 今から25年位前までは、畑の全てと言って良いほど、何処を見渡しても、管理された桑畑ばかりだった。もうそんな風景は何処にも無い!!と言っても過言ではない。
 あるのは、ボウボウに伸び放題になった桑の木が、無様な姿で立っている??…生えている??って言う感じである。
 江戸時代、養蚕がこの地方に取り入れられ…??もっと古い時代から、この毛の国には養蚕文化があっただろうが、本格的に流行したのは、江戸中期からであろう。
 家の造りも、養蚕文化が入る前の建物(阿久沢家住宅)と、それ以降の建物では違う。多くの蚕を飼う為に、家の造りも、この地方独特の「赤城型民家」と言う形が取り入れられて行った。この形式の家も養蚕文化の衰退と時を同じく、消え去ってしまった。
 利根沼田地方などに、数百年を経た桑の大木があると言う。そうそう、阪東橋を渡り、渋川の市街地に入る辺り、JRの踏切手前に、桑の大木があった。
 今、残された桑園跡の桑の中から、数百年後迄、生き延びる木があるだろうか??
 残って、後世の人々に語り伝えて欲しい…素晴らしい養蚕文化があった事を!!。
 今から35年位前に、アメリカ・ロサンゼルスの街路樹の中で「ドドメ」の実に似た、黒い実をたわわに実らせた大木を見つけた事があった。葉を見たら、桑の葉そのものであったので、摘まんで食べたら甘酸っぱい「ドドメ」その物の味であった。
 土地の歴史に詳しい人に尋ねたら、開拓時代に養蚕をする為に、移住者が持ち込んだ木であるとの回答であった。
 桑の学名は「Morus alba」と、山桑は「Morus bombcis」と言うらしい。Morusとは桑のドドメ色の黒を指すそうだ。bombcisとは、絹とか、蚕の事を指す様だ。イギリス辺りの移住者が持ち込んだのであろう…。
 古代中国でも、桑の木は神の木として、崇めた人々がいたと言う。
 一本でも良い…永遠に生き残って欲しい。

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