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2006年03月10日

●よもやま話「赤城火山に恋した男」

 20年位前だろうか、学生?と思しき青年を帯同して、何やら調査している風の3人組が我が家の周りを徘徊・・・していた。声を掛けて見ると、その方は、金沢大學文学部教授の守屋以智雄と、名乗られた。それが守屋先生とお弟子さんとの出会いの始まりでありました。その後、その守屋教室の学生さんとの交流が始まります。彼も又、赤城火山を論文テーマにしているとの事にて、再三、当家を拠点にし赤城山周辺を調査しておりました。その折り、赤城山に関わる守屋先生の逸話をお聞きしました。
 先生は東大の学生時代、ある女性に失恋し、この赤城山に籠もったと。当時の営林署の宿舎を起点として、その燃えたぎるマグマの様な情熱で赤城火山の調査を始め、隅から隅までハンマー片手に、まるで仙人か修験者の様に動き回ったと。
 この赤城火山は成立から終息迄の状態が全て分かる特異な火山であった事が、その後の火山学者としての自分にどれだけ役に立ったかと仰られていたと。
 この山の研究論文に依り、博士号をお取りに成ったと。
 その後現在まで、守屋論文を超す物は出ておりません。赤城関係の書籍、地図等を見る時、守屋と言う名に、貴方も接する機会があると思います。
 そうそう、建長3年(鎌倉時代)の東鑑と言う本に「赤木燃ゆ…」と言う記載があり、守屋先生は「水蒸気爆発説…」を唱えていますが、これには疑義を唱えている先生方も居るようです。
 しかし、平成10年、県企業局が小沼の下で温泉ボーリング掘削をしたところ、1000メートル位の地点から高温の蒸気が噴き出し、里の住民の中には赤城山から濛々と噴き出す白煙を見て、山が爆発するのではとの噂が流れた程であります。
 また、流出した火山性のガスは周辺の一木一草を枯らす程強烈であり、流下したガスと悪水は滝沢温泉迄到達し影響を与えました。
 この時の温泉井戸1000mの孔底温度は167・5度で、温度勾配から推定すると、1500m地点では孔底温度が250度に達すると予想されます。
 地下にこれだけの熱源が存在している事からしても、守屋説の信憑性を否定出来るのでありましょうか?

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