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2006年02月24日

●よもやま話「花見遊山」

 春が近づいてきていますのでお花見の話を。
 江戸時代から庶民のお花見が盛んに成って来ました。勿論、それ以前からありましたが、庶民はそれどころでは無かったと思います。
 「天平の昔から公家達が花を愛で、和歌を…」、「太閤秀吉が吉野山で観桜の催しを…」、どれも天下人の成された事。しかし、何時の世も、春夏秋冬の万物を愛でる心は、お上から下々まで等しく持ち合わせていた筈。
 私達の先祖は、現在よりもかなり貧しかったが、その折々に工夫して、お金を掛けず楽しく物見遊山をしていたことが伝えられています。現代でも、お金を掛けたから楽しい遊山・・・とはいきません。知恵を出して楽しむ方が・・・今も昔も同じ事。
 この近在の桜の名所は、やはり「お角桜」でした。桐生の土屋半渓と渡辺崋山の甥・岩本一遷が今から145年前の安政7年にお花見に来ております。この時の紀行文が絵巻物「阿角之遊興」で残されています。彼らは、お角さんに会うつもりで出掛けたが、彼女は「お伊勢参り」の旅に出ていて不在だったらしい。その折りの歌が残されています。
  「むかしかくめでたき花の種うえて
   千代へしけふもながめあかしつ
   たづねこし花のさかりのかひありて
   かくとは人の思はざらまし」
 苗ケ島の嶋屋平右衛門も家族を伴って、お花見に出掛けた手記が残っております。いやいや、実は妻の実家が近所なんです。彼女の叔父さんは金剛寺の中興の祖と言われた「智海和尚」で、現在の金剛寺を再建した人でした。

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