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2006年02月20日

●よもやま話「名字と名前」

 先日、親戚で孫ができ、洋之介と命名したとの電話がありました。それから数日後、知人の所でも孫ができ、洋介と・・・。聞いたら、最近「介」の字がはやっているとの事であります。
 江戸時代はどうだったのでしょう。名字は勝手には名乗れませんでした。「名字帯刀」を許された者以外はです。然らば、集落の人間を、どう識別したのでしょうか?
 五人組帳(江戸時代の戸籍台帳で名主が毎年更新し役所と手元へ残します)これを紐解いて見ると良く分かります。
 苗ヶ島町を例にとりますと、宝暦11年(1761年)の戸数は160軒と寺2ケ所で人数は619人でありました。実は、160軒の戸主の名前が全て違って居るのであります。つまり160通りの名があると言う事です。
 代々引き継がれた名を使っている平右衛門は、代々、平右衛門と言う風に。但し、家の格によっては、平右衛門吉勝と言うふうに個別の名を個人的に付けている場合があります。また、婿の場合、戸主の名を引き継ぐ家と引き継がない家があります。それから、戸主が隠居した場合、息子が戸主の名を引き継ぎ、隠居した親父は別の名を名乗ることもあります。平右衛門家では代々「六右衛門」と、これはこの家の先祖の名であります。但し、名字が無かったかと言うと、調べてみますと160軒全てに名字が実在しています。実は名乗れないだけで、墓石にはきちんと、名字と名前が刻まれています。
 苗ケ島町の金剛寺を飾る関口文治郎作の欄間が退色したので、着色すべく寄付を募りました。幕末の「彩色奉加帳」には寄付者名の名字と名が書かれております。
 明治2年11月(1869年)新政府は、「御復古御一新ニ付改名」せよとのおふれを出します。「OO左衛門」「OO右衛門」「O兵衛」 「O之助」「O之蒸」「O之進」「O太夫」「OO介」「OO輔」とかの旧来使用されていた名前は禁止されました。苗ヶ島町では明治3年11月に全ての戸主の名前が変えられ、名字名前が書かれた一覧表(旧称付記)が名主により佐野民事役所(苗ケ島町は栃木県・佐野藩領)に提出されています。

【改名帳 (井上良男氏所蔵)】
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毎回楽しみにしています。
いつもいつもここ(交流村)では目から鱗なのですが、今日のは特に目から鱗が落ちまくりました!
これからもよろしくお願いします。

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