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2006年02月06日

●よもやま話「千人塚の黄金伝説他」

 三夜沢から赤城温泉方面に向かい荒砥川を越した辺り一帯を東沢(地元ではヒガシッツァワ)と言います。神社の東を流れる川の意でありましょう。
 この辺りは岩山ばかりで、今から2万5千年位前、赤城山の噴火で流下した溶岩(荒山溶岩流・安山岩)が凝固した物であります。この石は、「赤城小松」と称され珍重されているとの事であります。
 さて、橋を越し直線の道を登っていくと、左に千石石材の採石場が有り、さらに登ると大野工業(旧田源石灰・旧東鉄工業)の採石場があります。その入り口前方に、小高い尖った岩山がありました。今は削り取られて跡形もありません。そこを、「千人塚」と土地の古老は呼んでいました。何時の時代か定かではありませんが、大昔、この辺りで合戦があり、その戦死者千人を埋葬したのでその名が付いたと・・・史実?伝説であります。そして、その山には黄金が隠されていると!
 戦後の貧しい時代、何人かの人が宝探しに挑戦。しかし、歯が立たない程の硬い岩山、皆断念したらしいです。その当時、赤城山のそこかしこで宝探しが流行りました。
 粕川の上流、銚子の伽藍や小沼周辺で、ある人は自分で堀った穴に落ちて亡くなったという話もあります。
 今から10年位前、時の村長、松山雷司さんが、湯の沢の近くに「屏風岩」って言う所は無いかいと尋ねられました。何んでですかと尋ねたら、ある人が村長室に来て、「そこにお宝が隠されている」と真剣に言っているので!との事です。村長もかなりその話に乗り気?でした。
 「屏風岩」と称する所は、そそり立つ岩山を屏風に見立てております。いろいろ調べたら、金剛寺の志田和尚が持っていた「国立図書館」所蔵、徳川幕府制作、街道絵図の復刻版の中に、苗ヶ島、三夜沢、宿の平、朝日の滝、湯の沢、屏風岩等々記載されていました。そこは獅子ケ鼻と称された、湯の沢街道随一の難所の対岸でした。
 そんな所に「お宝」何んかありませんよね!!

【千人塚】
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