●よもやま話「芸能の町柏倉」
旧宮城村は7つの大字で構成されていましたが、明治22年迄は遠い昔から勢多郡OO村と称し、天領であったり、旗本領であったりと、その支配者もそれぞれでありました。そんな関係でか、7地区には微妙に違う何かが、今日まで流れています。その中で、芸能に関しては、特に柏倉地区(現、柏倉町)が他より秀でている様に感じられます。
柏倉の芸能と言えば「弥生組」と、八木節の集団の名が即座に出るように現在迄も脈々とその血脈が受け継がれています。ここは江戸時代から地芝居が盛んで、現在も「柏倉歌舞伎舞台」が市の文化財として現存しております。
柏倉地区はかって西と東に分かれていて、各々に舞台があり、西には同じ神社境内に2ケ所ありました。芝居等が盛んになると「狂言致し候者は平生遊興を好み手足の荒れ候を嫌い、衣服の悪しきを嫌い・・・農工商売の生業に自然と怠り・・・」の理由で江戸幕府は度々禁令を出します。それは明治政府も同じでしたが、禁令が出れば、隠れ芝居が横行すると言う具合で、民衆の欲望を抑える事は出来ないもの、現今も同じだと思います。
そしてもう一つは、「柏倉・箱田の豆人形」と呼ばれて、明治時代の中頃迄盛んに上演されていた人形芝居です。その起源は、「昔賭博が流行り、若者がこれに熱中せし為、これを止めさせるべく、豆人形を習わせたと・・・。」昭和30年頃迄は、いくらか覚えて演じる古老(六本木・北爪さん)がおりましたが今は無しです。