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2007年01月24日

●よもやま話「大前田に112才で亡くなった老婆が!!今から306年前の出来事」

この所、大前田栄五郎の事を調べようと、川東の田島家墓地やその周辺を散策する様になった。大前田には古文書が全然残っておらず江戸時代の記録を追い求めるのは大変難しい。

以前、宮城村長を務められた中村武夫(故人)さんに、その件についてお伺いしたところ、「当家に保存されていたが、火災で焼失してしまった。」と言う様な御返事をお聞きした憶えがある。何れにしても皆無に等しいのではなかろうか。

しかし、今回、栄五郎を追ううちに、少しずつ紐解ける部分も…無きにしもあらず…かも??

「大前田栄五郎の生涯」を執筆した浅田先生(故人)が本の中で、「田島家にも菩提寺の金剛寺にも古い過去帳が無いので分からないが、新之丞という名が幾代か続いていた」という記載がありますが、今まで無いと言われていた過去帳については、現存している事が判明しております。但し、全然整理されて無く、雑然と列記されていただけなので、無いと言われていたのでは無いでしょうか。

今から10年位前に、志田住職より過去帳をお借りし整理をいたしました。そして、それと、当家に残る苗ヶ島村の五人組帳とを照合、そして苗ヶ島全戸の墓地の調査をいたしました。しかし、苗ヶ島以外の檀家の調査は手付かずの状態で今日に至っております。以前、地域振興課長の先祖調べの協力を要請された折にも、この時整理した過去帳が大変役に立っております。そして、今回の田島家でも同様です。ともに金剛寺の檀徒であった事が幸いしたのでは無いでしょうか。これを機会に、その他の檀徒の方々の系譜が多少解明される事でしょう。

ただ、過去帳の中の最も古い記録は元禄時代頃からです。

その中に、元禄四辛未年正月 曜華妙春 大前田 大法寺老母示寂百十二才という記載が目に入りました。今から300年余り前に…112才??凄いと…。元禄九年丙子十一月には、大法院自身が亡くなって居ります。戒名は「権大僧都祐永法印」と記されておりました。多分修験の家であったのでしょう。何故ならば、修験道は妻帯が許されていました。

さて次ぎに出てくる記載は、享保十五年庚戌三月 春林道芳信士 大前田川東 大法寺孫 嶋田久松 と、次ぎは寛保三癸亥六月 實相妙真大姉 大前田川東 嶋田新之丞女房と?????

これはもしかして?? 嶋田…田嶋??新之丞?? 是非この墓石を見付けて見たいですね!!

今日のところは、この辺で終わりに…。

[写真の資料提供:金剛寺 志田住職]

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