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2007年01月08日

●よもやま話「消えつつある正月行事」

 いよいよ正月気分も過ぎ…しかし最近は、なんか一年中正月の様で、それぞれの節気ごとの気分転換が出来ないと思いませんか??
 そう思うのは私だけ…かも、しれませんが!!
 昔は、隣近所(隣保班)19軒、全てを年始の挨拶回り…狭い路地裏で十九軒の人達に何回出会った事だろう…皆、同じ事をしている訳だから。それが終わると、区全体での新年会、会場の金剛寺へ、しかし公民館が出来たのを機会にそちらに移動。最初は、「起立・(南東の皇居を向き)・きょうつけ!!皇居に対して・礼!!・直れ!!」っと言う勇まし掛け声の皇居遙拝から式が始まった。皆、軍隊仕込みの気合いの入った掛け声であった様に記憶している。特に最近亡くなった石橋元助役の掛け声が、今でも耳の奥に残っている。
 門の門松も森林保護の為、貼り紙の門松に変わり、隣近所の年始回りも、区で一同に会すのだから止めようと中止になり…時代の変化と共に全てが様変わり…これも仕方の無い事…かも知れません。元旦はそんな事で大忙しだった。
 二日は、馬場の馬頭観音へお参り??それは昔の事で今の人は誰も知らないし、行く人も居ない。初市??これも、近年はスーパーで済ませる様になりまして…。…正月の初仕事??田植えの段取り??日取り??もうそんな事考える家なんて皆無。
 三日は、竜蔵寺の青柳大師、これもこの近在の人は余り行かない様だ。当家では、前新宅・東前のおばさんが毎年参詣していたので、頼んでいた様に記憶している。おばさん夫婦は我が祖父の仲人っ子であり、実家は富士見村の原之郷、老農・船津伝次平の血を引く方であった。
 四日は、昔は「ナベカリ」と称し、初嫁が実家に里帰り…日帰り、御飯を持って親に食べさせる??遠くても日帰り??嫁に行った覚悟を決めさせる、等々の理由が、しかし、もうこんな事やっている家あるだろうか??。
 正月四日は女と坊主の年始回り??これも、昔・昔の話しで、もう誰も知らない筈。その他、御棚サガシと称して、三ガ日に供えた物を、この日に下げた。
 五日は、この日までを正月と称すると…「ゴカンニチ」と言う所もある。この日を仕事始めとしている所もある。
 六日は、山始めで、供え餅を持って十二様へ…今は十二様の所在すら知らない人が大半である。
 七日は、七草がゆ、四日に下げた物を七草がゆの中に入れ、無病息災を祈りながら食べるのである。