« フヨウ街道 | メイン | よもやま話「三夜沢山中の古墓巡り」 »

2006年09月21日

●よもやま話「柏倉町東昌寺「中興開山元栄」」

 柏倉町の東昌寺本堂の西北に、歴代住職の墓地があります。突き当たりに物凄く立派な石殿が安置されています。恐らく、この近在で最大の石殿かも知れません。そこには木の扉が付いておりますが、開け放たれています。
 中には座したお坊様の石像が安置されておりました。石殿の両脇には「十世現住當寺中興開山 堅者法印元栄」と刻まれております。
 東昌寺は天台宗の寺院で「諏訪山 薬王院 東昌寺」とも言い、比叡山延暦寺の末寺です。かつて、新里・新川の善昌寺の末寺と伝えられています。善昌寺は長楽寺の末・・・・了需??、宮城地内の他寺、苗ヶ島町の金剛寺や鼻毛石町の赤城寺は共に真言宗ですが、ここは天台宗です。この元栄師の時代は善昌寺の末寺でした。その事は、享保12年(1727年)大胡東領西柏倉村寺社帳に書かれております。
 由緒書の中に、伝教大師(最澄)の開基の伝承を持つと書かれています(天台宗は、中国の天台大師の教えを基とし、伝教大師(最澄)によって開かれた宗派で、比叡山延暦寺を総本山としています)。
 この地は、大崎一門、六本木一門、深津一門、阿久沢一門、北爪一門と、蒼々たる強者が活躍した土地であります。しかし、戦国の世から泰平の世へと移り変わり行く中で、江戸初期には、この寺も荒れ寺と成っていたのかも??それを、元栄住職が並々ならぬ努力で再建を果たした・・・んでは無いのでしょうか。その労苦に報うべく、檀家の皆さんがこの立派な石殿を造立したのでは・・・。如何に村人から慕われていたか、この石殿を見ると分かる様な気がします。
 そして、開け放たれた石室の中から、何時までも、村人の安寧をお祈りしているお姿た・・・・既に、280有余年の歳月が流れています。

tousyouzi060917-07.jpgtousyouzi060917-14.jpg

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hurusato-miyagi.jp/plog/mt-tb.cgi/1549

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)