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2006年07月18日

●よもやま話「マーセンボウ」

 最近、我が家を訪れた女の子(小学校低学年)が、階段脇に飾られている柱を見て「馬屋」(うまや)のだ!!っと、言ったので驚いた。
 その柱を見て「馬小屋」のマーセンボウ??(馬小屋の馬を出し入れする際に外す横掛けの棒)と(柱は棒を外す仕掛けのが付いている)を掛ける柱だと知っている人は皆無に等しい。60才以上の農家育ちの人は別であるが…。
 2年程前、30代の女性で知っている方がいたのでビックリしたのに…今回は小学生…それに、マーセンボウと言う言葉も知っていた??
 その子のお父さんに聞いたら、ポニーの乗馬クラブ(長野・伊那市)に通っているとの事、そして、そこでは、それが使われている由。死語に成っていない事を知り安堵した。
 かつて、何処の農家でも、玄関奥に馬小屋があり、家族の一員の様に大事に飼われていたことを覚えている。馬小屋の事を「オコンマヤー」と言う。多分、奥馬屋(おくうまや)から来た言葉だろう。
 耕耘機が導入される以前は、農家にとって、耕耘機であり、4駆の軽トラに匹敵する大切な物であった。江戸時代の五人組帳にも、持ち馬の匹数が書かれていた。
 そうそう、話は逸れるが、六郎治日記にこんな記載がありました。
 伊勢崎藩士にして「馬術の達人・石川三藏」、「手裏剣達人・大橋ムラク」と。
 その他、「競馬の話」として、競馬は(一)国民の愛馬思想を高め。(二)乗馬の程度を進め。(三)国民元気を旺盛にし。(四)馬匹の需用を促進する利益あり。
 世界第一の競馬は豪州連邦ビクトリア州に於ける「メルボルンキャッツ」で、次ぎが巴里(パリ)の競馬場、両方共春秋二期に行う。豪州が日本貨幣にして拾五万円。巴里は八万円と言う。明治三九年五月、関八州競馬会(東京池ノ端馬場)、第九回競争(打留)。
 第一着、金八十円と来国俊の刀一口。第二着、金三十五円に同刀。第三着は金十円に無名刀の賞与なり。(追記、来国俊の刀は銘刀なり)

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