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2006年05月20日

●よもやま話「松野自得先生」

 赤城山も新緑に覆われる頃となって来た。嗚呼…やっと春だ〜っと実感できる。山から緑色が消えて何んと久しい事か…。
 「人の一生いつも木乃芽のふ久よう」と書かれた、俳句の額が我が家に飾られている。この時期、この額を見ていると、人の一生と言うものが実感出来るような気がする。しかし、どんなに栄耀栄華を誇った「ソロモン王」(ソロモン王の財宝??の話、聞いたこ事ありません??)でさえ、咲き誇る花には及ばないと…咲けば散る…が、花は翌年また可憐な花を付け咲き誇る…が、人の一生はそれで終ってしまう。人の一生は一代限り…、だから、不老不死の妙薬を求めるのですかね!!
 人は、いまわの際に大金をはたいて、効果に疑問のある妙薬を買う??今も昔も、変わらない…。散り際の哀れさよりも、芽吹きのすがすがの方が何んと美しい事か…。
 先日、仲人っ子の子が、生まれたての赤ん坊(曾孫?)を見せに来たが、本当に、「若芽の様…」。キリスト教の聖書の中にも、赤ん坊だけが神の国に入れると、書かれているが、正にその通りであろう。
 そうそう、俳句の作者…松野自得先生作である。先生は、東大室町の最善寺の住職であった。寺の入り口に「御仏は大地におわす八重桜 自得」と書かれた大きな句碑が建っているので、すぐにわかると思う。
 先生は、その寺で生まれ、美術を志し現在の芸大で学ばれ、帝展入選を果たしている。また、高浜虚子に認められ、俳句の道に入られました。そして、「さいかち」と言う会を作ります。その門下生が苗ケ島・上野赤峰(丑之助)、苗ヶ島・井上湖子(良男)、大前田・磯田政八、大前田出身・星野灯城(秀雄)等々の方々です。先生は、昭和50年、85才で亡くなられておられます。
 先生は、門下生の方々と良く、赤城温泉・御宿 総本家で句会を開いておりました。そんな関係で、先生が書かれたものが、この地区内の関係者の家に残されているのです。先生の書かれた絵や書は、好事家の間では、現在も、高い評価を受けて居ります。

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