●よもやま話「赤城山中に眠る・「上毛及上毛人」の原稿」
この郷土書を書したのは、旧大胡町・長善寺の住職であった豊国義考と言う方である。翁は慶応元年6月、多野郡日野村に生まれた。住職の子であったが、当時、僧籍にある者は妻帯が許されておらず、住職の妹の子として認知されたとの事を聞いた憶えがある。
12歳頃得度、明治12年大胡町長善寺住職・豊国洞伝和尚に師事。明治19年、長善寺第26世の住職となる。明治32年6月、住職を隠退、還俗す。長善寺の財宝を売り払い、芸者遊びをした破壊坊主との噂も流れしが、師の残した足跡・功績は大である。その功績に依り、昭和29年1月、吉田茂内閣総理大臣より藍綬褒賞を賜っている。
翁は板東日報発刊当時は高崎市に住み、後、前橋市に移る。戦時中は大胡町・長善寺の本堂前の建物に疎開。昭和29年2月、89歳の天寿を全うす。その夫人は翁を追う様に、一ヶ月後に他界す。青年期より晩年迄に残した記録・著書等は膨大である。
実は、翁の娘は赤城山中で生涯を閉じている。そして、その孫、曾孫が翁の残した「上毛及上毛人」の原稿の一部を、祖母の遺品として大事に保管している。翁が記した全ての書籍等は、亡くなる前年の昭和28年、群馬県に寄贈されている。