« よもやま話「くっせぇ〜話の続き」 | メイン | あざやか色の花くらべ*ぐんまフラワーパーク »

2006年04月24日

●よもやま話「苗ヶ島水争い」

 東宮六郎治の「苗ヶ島水争い」の記録がありましたのでご紹介しましょう。
 大正13年7月11日、室沢(区長石川恵次郎)苗ヶ嶋(区長東宮端一郎)粕川小麦堰分水の衝突より室沢方下村々(室沢・月田・中村・膳・田面)狩集め、其の勢力3〜400人(室沢、金子松五郎・倉本磯吉・小池善吉等欺出し)甚だ乱暴為し、西部には一水も流さず益々横暴し、為に警官6〜7名、郡長の方々出張、調停の労を取るも和解せず。
 然るに15,16日の降雨に幾分下火と相成るも、尚、20日東西各4〜500人宛集る。
 警官、郡史10数人出張鎮撫致す。其の効なく夜の12時頃警鐘乱打し村々総出の騒ぎ、実に其の物凄き事。筆舌し難く候。21日に至り、郡長・署長の仲裁により和解となり同日午後5時、東宮六郎治宅に於いて手打、従前通りの配分となる。出席者は郡長・郡史・署長・部長・各村長・助役・農会長・区長等なり。
 然るに猶、又、川東に於いて24日、男たる者総出にて契約を無視し乱暴為すに前仲裁者出張説論するも応ぜず。郡長・署長25日午前2時手を引き止むを得ず。西部に於いても一同の出動を報ずる為め,警鐘乱打、25日午前10時頃第1回の衝突に負傷者東部に4名、重軽傷西部に2名軽傷(1名拙家雇人田村勝造極めて軽傷)東部5〜600人、西部1030人、警官33人にて鎮撫すも西部は今井・大室等より応援隊あり、毎刻増員し26日に至り、実に2000人となり警官も前橋・桐生より応援隊を求め33人の増員、都合66人。
 金剛寺を県官・郡史・警官の宿所とし苗ヶ嶋神社社務所を大本営とし、処女会は兵糧炊出し、青年会の夜警実に騒ぎにあり。
 26日第2回の衝突に10数人負傷者。重傷者は月田茂木安太郎なり、後に血の雨を降らせり。御出張諸員の説論により幾分退却候処27日午後9時30分頃東部襲撃旨前原某の虚報にて、尚、又、警鐘乱打大騒ぎ為したり28日午前3時本県鏑木農務課長随行吉水・新井両県属、勢多天笠郡長、郡史宮下一課長・大胡警察豊島署長仲裁にて解決し金剛寺に於いて手打ち、同午前9時一同立会分水全く従前通りとなる。
(旧宮城村史282頁に上野丑之助氏の回顧録あり。)

kasukawa060314-02.jpg
[粕川]

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hurusato-miyagi.jp/plog/mt-tb.cgi/1435

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)