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2006年03月24日

●よもやま話「仙石騒動」

 前に書いた(2006年02月25日掲載)「紅葉錦赤城物語」の所で、二世十返舎一九(糸井鳳助)が江戸をた追われた理由・・・「仙石騒動」を題材・・・それって何?との質問にコ・タ・エ・まして!
 この事件は三夜沢の奈良原年代記の天保7年の項に記されてあります。
 「同年二月仙石播州一件裁許重罪左京父子外二名其余十人余也、主家道之助二万八石被召・・・」。この騒動は、幕末に於ける日本の三代「お家騒動」で、発端は仙石家の分家二家の勢力争いで、仙石左京(行政側)派と仙石造酒(財政側)派が藩財政の運営を巡っての対立でした。
 当時、お家騒動は天下の御法度だった為に幕府の重い処置が下された事件です。時代は正に幕末の動乱期に入り天下が俄に騒がしくなって来ております。そうそう、天保6年は「天保通宝」が鋳造された年。
 天保7年は天保の大凶作で各地で農民一揆が起きます。年代記にもその年の項に「・・・同年四月十日頃ヨリ雨フル一月ノ内晴日ナシ、蚕繭大ニ違フ奥州ノミヨシ同月ヨリ五月迄米一両六斗五升ナリ麦総テ大ニヨシ二斛余ナリ、同年五月一日晴日ナシ、同年六月雨大ニフル一日モ晴日ナシ、十五日頃ヨリ江戸始関東国々毛髪フル白色在リ黒茶色等在リ何モ長サ三寸ヨリ一尺余在リ何ノ毛ト言コト知ラズ、米一両ニ五斗ニナル、雨マスマスフル七月ニ入フル六日ヨリ十三日少シヨシ十四ヨリ又フル十七八日大風東ヨリス夫ヨリ又フル此月ニ入度々川々洪水・・・・八月雨フル・・・米一両・江戸ハ二斗二升ナリト・・・九月折々雨フル・・・諸々悪徒蜂起在々押入盗賊通路ノ追落シ・・・同年十一月十一日東山中花輪入田沢入二十三ケ村百姓竹具ヨ吹人数ヨ集メ大間々近ク押寄セル千五百人ナリ・・・」の大事件が起きるのです。正に天保の大飢饉の始まりであります。
 翌年の天保8年には大阪で「大塩平八郎の乱」が起きます。7年の年代記に奥州仙台領では餓死者が8万人とあります・・・。

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