« 野の花々 | メイン | 赤城山の花々 »

2005年07月02日

●よもやま話「赤城山常夜灯」

zyouyotou050702-01.jpg
zyouyotou050702-02.jpgzyouyotou050702-03.jpgzyouyotou050702-04.jpg

江戸時代、多くの石工が信州から上州各地に出稼ぎに来ていたらしいです。苗ヶ島町の井上家には、寛政の頃、岩鼻代官所より発行された石工の鑑札が今に残っています。大変貴重な物です。
当時、井上家は苗ヶ島村の名主を務めており、そのおりに石工から預かり置いた物と思われます。
今、苗ヶ島町の金剛寺の横の県道を上がっていくと、道路が左右に分かれる三叉路があります。右に行くとクローネンベルクへ、左に進むと(財)電力中央研究所方面へ、その三叉路の真ん中に石灯籠があります。この石灯籠は元々前村長の桜井家の駐車場のあたりあって、移動したもので、「滝沢不動尊」とあります。
馬場町の十字路(今は上に移動)と、苗ヶ島町(大島さんの横)にある石灯籠は「赤城山常夜灯」です。何れにしても、右に進むと滝沢不動尊への道、左に進むと赤城神社への道です。
話を戻して、この三叉路を左に少し進むと、また三叉路が出てきます。右が湯ノ沢道(千本桜方面)、左が片並木(赤城神社方面)と言います。実はこの地点から赤城神社まで松並木が続いていました。近年、松食い虫にやられその面影はありませんが、この片並木も慶長17年、大前田の川東彦兵衛により植えられたものと伝えられています。
さて、この常夜灯がなぜ貴重かと言いますと、苗ヶ島に出稼ぎに来ていた石工が奉納したからであります。文政10年(1827)、信州伊奈郡の石工20数名の在所と名前が、そして、地元世話人3名の名が刻まれています。3名の内の前原久右衛門は地元で多くの石工を抱えていたらしいです。
彼らが出稼ぎ先で、ふるさとの家族の安寧と仕事の安全を滝沢不動尊に願い造立したのでしょう。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hurusato-miyagi.jp/plog/mt-tb.cgi/930

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)