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2007年02月09日

●よもやま話「硫黄島での戦いに倒れた村の青年達」

  今、「硫黄島」と言う題名の映画が放映されている。太平洋戦争の中でも、もつとも熾烈な戦いで、日米双方に甚大な被害を出した戦であったと、伝えられている。
  クリント・イーストウッド監督のこの映画は、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作からなり、日米双方からの立場で制作された映画である。
  迎え撃つ、日本軍は栗林中将率いる「小笠原兵団109師団」・市丸海軍少将率いる「混成第2旅団第27航空戦隊」・その他、陸海軍将兵・軍属・特年兵・島民130人(軍属)の22,923名。攻撃側の米軍は、艦船800隻・航空機4000機・25万人と言う桁違いな総兵力を持って硫黄島を攻撃したのである。
  昭和20年2月16日からの戦闘で日本軍は、総兵力22,923人の内、21,890人余の戦死者を出したのである。生き残った者は僅か、1,033人であったとの事。
  米軍も戦死者6,821人、負傷者実に21,865人と言う甚大な被害を被ったのである。
  宮城地区からも、応召して戦死した方々が数名いる。平成9年に、旧宮城村・旧社会福祉協議会・遺族会によって発刊された「戦没英霊録」を紐解いて見た。
  6名の方々が硫黄島で戦死なされておりました。

    北爪 正三 氏  階級・陸軍兵長
    所属部隊・東部第76部隊より栗林部隊に編入
    戦没月日・昭和20年3月17日(32歳)

    大崎 健次 氏  階級・海軍上等水兵 横須賀海兵団
    戦没月日・昭和20年6月15日(28歳)

    大崎 四郎 氏  階級・陸軍兵長 所属部隊・横須賀重砲18327部隊池田隊
    戦没月日・昭和20年3月17日(26歳)

    市川 為雄 氏  階級・海軍上等水兵
    戦没月日・昭和20年3月17日(34歳)

    前原 惣治 氏  階級・陸軍兵長 所属部隊・赤羽独立工兵第21連隊
    戦没月日・昭和20年3月17日(28歳)

    後藤 祐 氏  階級・海軍中尉
    戦没月日・昭和20年3月17日(41歳)

  上記の6名の方々の内、5名の方は緒戦の段階で戦死をなされておりましたが、大崎健次さんは最後の最後まで生存されていたのでしょうか、その頃に最後の抵抗が終息したと記録されております。
  筆者の学生時代の恩師(英語)は、旧陸軍大佐で大本営の連絡参謀をなされていて,硫黄島の攻防が始まる直前に最後の航空便で本土に帰還した話しを授業中にして下さった記憶があります。また、東宮大佐とは知り合いであったとも言っておりました。
  また、先生は防衛省の戦史室にある、トルーマン回顧録の翻訳にも携わったと。その他、グアム島で開かれた、軍事法廷に通訳として出席した話しをもされておりました。…内容ですか、日本軍による人肉事件…何でも、飢餓では無く、戦意鼓舞の為に捕虜の米兵を喰ってしまった話し…それも偉い人の命令で…遺族に何と説明して良いか??この件は秘密裏に処理されたそうです。
  戦争とは、人を狂気に走らせてしまうもの…勝者敗者どちらが正しいかを論ずる事は無理だと思います。勝者のみが正しいとされていますが、どちらの兵士達も、ただ国の命令に従い、逆らう事も出来ずに殉じて行ったと思います。二度と起こしてはいけませんが、しかし降りかかる火の粉を、振り払わなければ…。

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