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2007年01月26日

●よもやま話「時代に翻弄された柏倉の土豪達」

柏倉には深沢・大崎・阿久沢を名乗る人達が多く住んでいる。その足跡を追うと室町時代に遡ることができた。今を去る440年程前の事である。その中の阿久沢家に関しては、更に数百年遡る事ができるのではないか。同家の墓地には、赤城塔や板碑が現存している事がその証である。

三夜沢の奈良原家に、これら一門に関する記載の古文書が現存している。前橋城主北条高広が永禄9年11月に三夜沢神主奈良原氏に出した書状がそれである。奈良原家には北条高広文書(永禄4年・永禄9年・永禄12年・元亀3年・天正5年・未詳1)が現存している。

永禄4年(1561)とは、前年の永禄3年に桶狭間に於ける戦が、翌年の永禄4年には川中島で、上杉・武田、両軍が最も激しくぶつかった年でもある。関東に於いては、永禄3年に上杉景虎が上杉憲政とともに三国峠を越え関東に出兵し、小田原城を攻撃した。この時、景虎(謙信)は関東管領に就任し、厩橋城(前橋)に北条高広を城代として置き、本拠地とした、また永禄6年には北条高広を厩橋城主とした。奈良原家には永禄3年に上杉憲政より出された書状や永禄4年の上杉謙信制札・永禄5年(?)の上杉謙信の書状等が残されている。

当時、上野国は北条・武田・上杉の接点であり、そのせめぎ合いが各所で行われていた。

石殿この赤城南麓一帯もその戦乱の渦の中に巻き込まれていた。柏倉には永禄3年に造立された石殿二基(市指定文化財)が、六本木家墓地(国道353沿い)にある。この一族も当時この一帯で活躍していたのだろう。

柏倉の堀内には、西屋敷(砦?土居・堀)(六本木氏)の跡が現存している。柏倉の上と下ではあるが同門であろう。

また、市之関の阿久沢氏も元は六本木姓を名乗っていたが、後に城(黒保根)の阿久沢能登守の娘を嫁に迎え、以後、姓を阿久沢に改めたとの伝承を残している。柏倉の各家の先祖達は共に生き残りを掛け懸命に生きていたのであろう。それを物語る文書が永禄9年の北条高広文書である。まさに、それら一門の悲哀と時代に翻弄された一端を、かいま見る事が出来る貴重な記録である。また永禄9年は、箕輪城が武田信玄の猛攻に会い落城した年でもある。この時、大胡城主、上泉伊勢守は箕輪城に在城して戦っていたのである。そして敗れ、諸国流浪の旅に出たと伝えられいる。この地の地侍達も伊勢守の軍に加わっていた者も多かったのではなかろうか。奈良原家赤城神社文書

赤城山三夜沢大明神為御本社之 上、 依在立願之旨、柏倉郷内深沢修理 亮抱弐貫文、松村左衛門四郎抱近戸免 弐貫五百文、同諏方免壱貫文、阿久沢 源三郎抱参貫文、大崎次郎左衛門抱 七百文、都合九貫弐百文之所、永代令 寄進者也、毎月可被抽祈念事肝要候、 仍状如件、    永禄九年丙寅     北条丹後守    十一月十五日     高広(花押) 三夜沢神主 奈良原紀伊守殿

この文書は、柏倉郷内の深沢修理亮・松村左衛門四郎・阿久沢源三郎・大崎次郎左衛門の所有している土地を、北条丹後守が赤城神社に寄進したと言う内容のものである。恐らく、これらの在地の土豪達は上杉方で無く、小田原の北条方に付いた為にその所領を削られたのではと推測される。北条方では無かろうかと言うのは、阿久沢家の家紋を見ても分かるが、三つ鱗の紋所である。これは、苗ヶ島の阿久沢、市之関の阿久沢も同紋であり、小田原北条の紋である。上杉方・武田方・太田由良方・北条方が入り乱れ混戦模様の中で、どちらに付くか、迷いに迷い様子見の状態が続いていたのだろうが、この時点では、上杉方が有利??…とも言えない年であったろう。数年後には、小田原・北条の勢力がこの南麓一帯を押さえる様になるのである。

さて、深沢一族であるが、黒保根・宿廻には深沢城があり深沢一族が住んでいたと、天正六年に落城、越後に落ち延びたとの伝承がある。恐らく同門であろうと…。

松村一族であるが、古くは大沢に鎮座していた近戸神社の別当職であったとの事。この文書に書かれている「…松村…抱近戸免…」とは大沢にあった近戸神社の社領として税を免じられた土地と言う意味であると…。云う迄もなく、赤城神社の分社であった。「諏方免…」とは諏訪神社の社領として税を免じられた土地の事である。共に松村一族との繋がりが…。

御神幸 阿久沢一門であるが、この一門の歴史は前に書いた通り古く、鎌倉時代に遡る事が出来るのでは無かろうか。二宮赤城神社の式行事の折に、輿懸(おこしかけ)にて湯茶の接待をしているのがこの一族である。

大崎一門であるが、諏訪山東昌寺は大崎一族の旦那寺である。大崎家の宗家の屋敷は殿替戸館(大崎屋敷)と称し、土居・堀が現存しており、市の指定文化財に指定されている。武勇に優れた者が輩出している記録が残る。

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