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2006年05月11日

●よもやま話「赤城塔」

 最近、私の友人が夫婦で滝沢峡谷へ行った帰りに立ち寄り、「土産だ!!」と言って石片??を持って来た。
 彼曰く、誰かが捨てたのでは??…と、あんたが好きそうな物なので、重かったが、リックに入れて持って来た!!っとの事。良く見ると、多宝塔の相輪部分??
 「こんなの、捨てに来る奴は居ねえよ!!」多分、昨年夏の水害で、山が崩れ、出た物だろう…との見解を…??。
 時代的には鎌倉時代位迄遡れる物??と考察。私的見解では、赤城塔の相輪部分??かもね…。その後、その辺に置きっ放し…、過日、高崎市教育委員会・文化財担当の方が来訪した折に、顔見せ…。これは、全然風化して居ませんね!!多分、地中に埋まって居たのでは…との見解でした。
 そんな事で、赤城塔に、より一層の興味が湧き…ここ数日、この地区の赤城塔巡りを始めています。新たな発見も…、出始めております。赤城了需を師とした、赤城門徒が造立したものであろうと考えられて居りますので、私のライフワークには最適の課題かも…。相輪が届いたのは、屹度、私に何かを訴えたかったのかも知れませんですし…。それから、この地区に残る「赤城塔」の相輪部分は、殆ど欠落しております。
 しかし、赤城神社境内にある、市指定文化財の「赤城塔」は、相輪が綺麗な形をしております。私の手元にある、相輪と宝珠下の部分に類似が認められました。
 神社の相輪には九輪の線刻がなされておりますが、当方の物にはありませんが。何れに致しましても、今後、暇を作り、頑張って研究??して見たいと思います。

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