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2006年04月18日

●よもやま話「枡形遺跡」

 先日、「桜守の会」で山桜の苗を植える作業があり、出掛けて行った。丁度そこは少し高台になっており、そこに商工会寄贈のモニュメント「舞桜」が設置されていた。その位置から真東、千本桜並木を横切った辺りに、今回新たに新設された遊歩道がある。その道は真横に進み、直ぐに直角に右折し、緩やかな坂道となっている。その直角に右折する辺りを散策していたら開削された土の中から、十円玉より少し大きな土器片が三点、顔を出していた。拾い上げて、土器片に聞いてみたら…、縄文時代早期から此処に居るのだと…の応えが返ってきた。5〜6000年前の事である。
 確かに、この所を下った、国道353下の辺りは旧石器時代の「升形遺跡」ですし、縄文早期は次の時代ですから…。今回の場所から谷を隔てた所にあるのがクローネンベルク(ドイツ村)ですが、ここを開園するに当たり、旧宮城村の教育委員会で、1993年に発掘調査を行っております。
 その結果、旧石器時代、縄文時代の遺構・遺物が発掘され、「苗ヶ島大畑遺跡」と命名されました。特に、第8号土杭内より発見された、深鉢式の土器は「鵜ケ島台式土器(うがしまだい)」と言い、縄文時代早期の、とても素晴らしい物です。その他、多くの「陥し穴」の遺構が発見されております。

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